第1話

記憶

記念すべき第1回目のテーマとして、これを選んだ。
今の私が形成されるのに、これから書く内容がどのように影響しているのか、
はっきりはしないが、間違いなく何らかの啓示があることは、
火中の栗を前歯で噛み割るより明らかであろう。

人の記憶というのは、何歳位から残っているだろうか?
たまにお客様などに聞いてみたりするのだが、
大体3〜4歳位からが最も多いようである。

はなはだしい場合、小学校あたりからしか覚えてないという、
怠慢な脳細胞をお持ちの方もいらっしゃる。

こういう若年性の痴呆症のような方は決して少なくない。
今のうちに公文式をはじめる事をおすすめする。

ではBOSSはというと、2歳になってすぐ位から記憶があるのだ。

これはおそらく記憶力に優れているというより、
その頃にあった出来事が、
あまりにもインパクトの強いものだったからだと断言できる。

それらの出来事の一部は、何人かのお客様には話したことがあり、
知ってらっしゃると思うが。

まずそれは、母親の存在が非常に大きい。
昔からよく気が付く優しく素晴らしい母親である。

ある部分を除いては、、、、、。

『て、、ん、、ね、、ん、、』なのである。
これはいろんな人にもいえるが、本人に自覚、悪気が無いだけに、
かなり危険であり、場合によっては命にかかわる。

もうひとつ危険なもの、それは『思い込みである。

この両方の要素を完璧に兼ね備えた最強の母親である。

それは私が長崎県の田平町という、ど田舎に住んでいた頃、
佐世保のおばあちゃんの家に行った時であった。

冬の寒い時期、そこには今は懐かしい火鉢というものがあり、
その火鉢に大鍋がぐらぐら煮え立っていた。

寒いにも関わらず母親は、子供は風の子とばかりに
私に半ズボンを履かせていた。それに白い靴下。

で、その母が火鉢の所に来た瞬間、
大鍋にひっかかって煮え立った中身をぜーんぶひっくり返してしまった。

その中身は私のむき出しの右足を直撃した。大惨事ですな。

私は熱すぎてなんだかわからなかったが、
すぐにそれは激痛の固まりとなって、一気に襲い掛かってきた。

驚いた父が、すぐに私を抱えて風呂場に走った。
当然水をかけて冷やすためである。

もう私はのたうち回るような激痛に朦朧としていた。
わずか2歳でこれはきつい、、、。

しかしこれだけでは終らなかったのだ。
母の天然と思い込みは、ここで私に至上最強の業を与えたのだ。

父が水で冷やそうと(もう水かけても手遅れ状態のひどい火傷だったが)
するのを母が制し、
そのとき母が手に持っていたのは何と、
し、し、
『ショーユ』だったのだ。

何を思ったのか、母は迷わず(父は後にそういっていた)
私の火傷にタップリかけていた。
これは

『かちかち山なのか?たぬきさんなのか?

最後に私はドロの舟にのって

沈んでしまうのか?』

2歳の私には、そんな事はわからなかったが、
更に激しい痛みが襲ってきた事は鮮明に覚えている。病院直行である。

患部は右足のくるぶしからアキレス腱のところだ。

そこで大変なことになってた。

白の靴下が完全にケロイド状になった皮膚に張り付いて、はがれなくなっていた。
あれは何ていうんだろう、先が丸くなった解剖用のようなハサミで、

靴下と皮膚を切り取ってはがしたのだ。
もう今でも覚えている。剥がした後のドロッとした皮膚の状態を、、、、。

足の指でなくて幸いだった。指にかかっていたらおそらくあの火傷なら、
指が溶けてくっついてしまっていただろう。

母は、後に語っている。誰に聞いたか何かで読んだのか、よくわからないが、
火傷にはショーユだと思い込んでいたらしい。

それを咄嗟に思い出し、すぐさま実行に移したのだ。

その行動力には感服するが、なんという思い込みを実行してくれたのだろう。

母の伝説は未だに新しくつくられてきている。
この事件が私にとって最初の母の伝説となった。

父は、、、、、まあよく、、、、、我慢強いなあ、、、、、。感心するな、、、、、

ほんと、、、、、こんなことこんなところに書いてしまった、、、、、かあちゃん見たら、、、

怒るだろうな、、、、、まあ書いてしまったものは仕方が無い、、、、、。

このように2歳の記憶が鮮明に残っている。まだ他にもある。

 

父が仕事で電々公社(後のNTTですな)の平戸電話局によく連れてってくれた。

今は平戸大橋という橋がかかっているが、
当時は船で5分だか10分くらいで行っていたのだ。

船の乗るのも大好きだった。

朝一緒に出て、父の仕事中私はいろんな機械、装置に囲まれて、
まさに子供にとって宝の山だ。

いろんないたずらをしたらしい。
中でもお気に入りは、水洗トイレだった。

銀色のレバーを引いたり、足で踏む度に水が勢いよく出てくるのだ。
当たり前なんだけどね。

とにかくいろんな所にスイッチやレバー、ハンドルのようなもの、受話器各種。
本当に電話局というのは映画の世界だ。とにかくスイッチを見ると押してしまう。
レバーは引いてしまう。子供の性だな。

本当に嬉しくてしょうがない宝の山だったのだ。

職場の皆様にはきっとかなりご迷惑をおかけしたと思う。

そのうちあまりに迷惑な存在になったらしく(当たり前だな)
連れて行ってもらえなくなった。

朝私は行く気満々で、朝食を済ませ父を待った。
しかしいつまでたってもお姿が見えない。

待ちきれなくなった私は、母がすまなそうにしている表情にも気付く事無く、父を捜した。

各部屋、トイレ、押し入れ(いるわけないのだが)、果ては風呂のフタまであけて
中を
のぞきこんだりした。もうとっくに出かけていってるのに、、、、、。

まあかわいいですなあ、、、。

ほかにも妹が生まれる時に母が消えた。これは入院したんだな。

そんなことわからんから、最初どうしたのかと思ったが、
代わりにしばらくおばさんが面倒をみてくれた。

卵かけごはんをよく食べてた。母は程なく小さな生物と共に戻ってきた。

これらは全部2歳から3歳にかけての記憶である。
まだたくさんあるのだが、充分だろう。

父は前にも増して一生懸命働かなければならなかったし、
母も育児等で一生懸命働かなければならなかったし、
私も近所の子供達と
『三輪車の競争』に没頭しなければならなかった。

3歳までに性格その他が決まるといわれているが、
この頃の記憶と今の自分はどうも、、、

同じようにたしか手を火傷したドクター野口という偉人は、えらいお医者様となり、
黄熱病だか何かの研究をしていたらしいが、、、、、。

うーんやっぱりこの頃の影響でこうなったのかなあ、、、、、。

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